プロボウラー亀井勝江のブログ

(公社)日本プロボウリング協会公認プロボウラー14期生・亀井勝江のブログです

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紳士なプロたち

先日、プロ協会トーナメント委員会主催の「トーナメントプレイヤー講習会」があった。
京都駅のバスセンターで、順番待ちで並んでいると、前に居る男性の後姿がどこかでお会いしたようなと思っていたら、矢島純一プロだった。「あ、お久しぶりです」とつい言ってしまった。
1962年にプロ協会が発足しその1期生の中で一番若かったのが矢島純一プロ。もうプロ生活45年と思う。獲得タイトルは41個で男子プロの中でダントツのトップ。現在も第1線で活躍中なので、トーナメント会場では、恐れ多くて会話など出来ない。
その方が「お、元気かい」と。「もう子供が大きくなってね。」そうだった。最初のお子さんを突然なくされた直後にお会いした折、慰めの言葉が見つからず、気休めしかならないと思ったけれど「きっと、生まれ変わってこられますよ」と言った。その後お子さんの誕生の噂を聞いた。そのお子が30歳を超えたと。
なぜ、こんな会話が出来るかというと、実は、私は矢島プロのレッスン生だったのだ。1年間も。ボウリングを始めて2~3年目のころ、岡山の水島国際ボウリング会館の専属プロとして1ヶ月に一度数日滞在しておられた。その仕事のひとつに「矢島プロのレッスン」があった。スタート直後はレッスン生が多かったけれど、すぐみんな上手になって辞めていった。私はひとりになっても辞めずに通った。はからずも個人レッスンになるのだもの。
贅沢なレッスンだった。その後、プロテストを受けることになって、出来の悪い生徒なのにと気に留めてくださっていたのかもしれない。
このレッスンで得た財産は多いけれど、その中で、3番目にスパットをターゲットにしてポケットを突くことを教わった事は大きい。この頃、2番スパットあたりしか使えなかったから、3番スパットを使って少し出すなんて目からうろこだった。この攻め方で関西オープンのベストアマを獲ったし、プロテスト2次の2日目、関西オープンの会場センター、六甲ボウルで、男女受験生の中のトップスコアになってプロライセンスに近付けた。

ボウリングの歴史の始めから、ずっと現役で第一線を張り続け、なお好成績を残すためには、壮絶なものがあるはず。それを感じさせないで物静かに見えるということ。それは何だろう。
紳士たるものってそうなのかも。
プロ生活31年、底辺でもがき続ける亀井はどうなんだ?

     “紳士なプロたち“ つづく


2012年11月号