プロボウラー亀井勝江のブログ

(公社)日本プロボウリング協会公認プロボウラー14期生・亀井勝江のブログです

MENU

むし暑い日に・・・・


広島土砂災害の犠牲になられた方々のご冥福をお祈りします。又、被災者の方々へ心からお見舞いを申し上げます。

連戦連敗してもひたすら走り続けた高知の競走馬「ハルウララ」の写真を、プロショップの上に掲示してあった亀井のプロフイールの写真と取り換えたいと、このコラムの第一稿に書いたのが、2004年の2月号。今月号は127号ですから、10年と7か月書いてきましたこのコラム「あれもこれも」は今回で最後になります。
素人の悲しさで、伝えたい事があってもなかなか文章に出来なくて、部屋にこもったり、歩き回ってみたりと3日以上は毎回もがき苦しみました。最初の一言が出るとあとは書き進めるのですが、それがなかなかね。駄文につき合わされた方々には申し訳ない事ですが、書き終えた後の解放感と充実感があったから10年間書く事が出来た気がします。ありがとうございました。
技術論の「あれもこれも」も書きたかったのですが、亀井自身で証明出来たらという思いがあってこの127号には間に合いませんでした。
ハルウララは引退して千葉の牧場で余生を送っているとの記事を見ました。
カメウララは、まだ引退しません。なぜって、自画自賛でおこがましいけれど、投球術などボウリングのあれもこれも今が一番成熟している気がするから。
これらは独りでは出来なかった事です。仕事をする中でボウラーの皆さんに教わる事が沢山ありました。だから成長出来たと思います。本当にありがとうございました。感謝です。
本音を申せば、皆さんと一緒に、老いていこうと思っていました。年齢にはこよみ年齢、からだ年齢、見た目年齢があるとの事。こよみ年齢は無視して、からだ年齢はボウリングで自己管理を、見た目年齢はこれもボウリングで・・・・プラス化けるという手もあります。
と言う事で若さあふれる皆様にお会い出来る日を楽しみにしています。
See You Later です


「亀井勝江のボウリング・あれもこれも プラス」をホームページに掲載を予定しています。HPはhttp://k2317.web.fc2.comです。


2014年9月号

ボウリングの黒子から

ボウリングボールに穴を空ける仕事人をドリラーという。
自分のボールのドリルを始めたのは、プロになって3年経った頃だった。
多分、受験時のストレートボールの球質を曲げたいと模索してどんどん成績が落ちていった頃だ。随分ドリルも変えていったと思う。1968年頃PBAのツアープロで日本のプロボウリング協会の発足に貢献された、バズ・ファジオ氏の『ボウリングと云うスポーツは、はじめに指導を受けた人・はじめにボールをドリルしてくれた人により、その人のボウリング人生が決まってしまう』という有名な言葉がある。38年前に島根県でボウリング大会を見て、その競技性に惹かれその場でハウスボール、ハウスシューズで参加したのが亀井のボウリング人生の始まりだった事もあって、ドリル問題に悩んでいたから、彼の言葉は身に染みた。
手元に古いノートがある。1984年2月にボールのフイッティングの感想と、ドリルマシンの使用方法のメモがある。これが、ドリルの学習記録の始まりで、その後、メジャー表と数値の書き込みとコメントが加わって、現在39冊目。1pに1個のボールの記録だから、おおよそ、2300回の記録になる。これは、亀井のボールだけの記録で、テストボールの記録も全て残した。こんなテストを独りで考えて出来るわけがない。優秀なドリラーの方々を勝手に亀井のブレーンと決めて、悩むと教えを乞う。理解できなくて、電話の翌日北海道まで飛んだ事もある。関東も九州にも飛んだ。ドリルの現場に居てじっと見ていた時も。それらの方に殆どドリルをお願いした。その時のメジャーも再現して、全部記録している。
ボウラーのドリルをする時、亀井のように遠回りをさせたくないと、30年間亀井自身を見つめて実験し学習した財産をフル回転してドリラー稼業をしている。
ドリルは穴あけ作業ではない。手の骨格、関節の大きさ、指の方向、皮膚の状況などみんな違う。それが数値になる。その前に、スポーツ歴、ボウリング歴、投げ方、考え方などを頭に入れてメジャー表が決まる。特に初めてマイボールを持つボウラーには時間をかける。そうではないボウラーにはどういう状況で使用するのか、ラインナップのどこに入るのかと知ったうえで、レイアウトを作ってゆく。それから、穴あけの作業になるけれど、再現性が必要なので、メジャー通りに正確に空けなければならない。正確に空けてあればこれがデータになるので、どのようにでも発展も調整も出来る。そのうえで、投球を見ながら、サム(親指)のべベルカットとフインガーグリップの調整で仕上げに入る。大体、これで1時間30分から2時間はかかる。勝手にブレーンのドリラー歴50年以上のT氏もそうだった。(T氏におこがましいと怒られそうだけど)
「すぐ出来上がって渡してくれるよ」そういうところもあるとボウラー氏が教えてくれた。ありえないと思うけれど、もしかしたら天才なのかも。
ただ、使用中のボールでスコアが出ていて、怪我もなければ、そのまま再現となる。
まぁドリラーは黒子だし、苦しい仕事ではあるけれど、勝手に良い回転が出るリリースが出現して、この人にとってボウリングの財産が出来たと思った時、タコと傷だらけの指が綺麗になっていった時、どんなにうれしいか。密かに万歳してます。

* 6月号のコラムの中で「のりしろ」とあったのは、「のびしろ」の間違いです。「のりしろ」が増えたら小さくなってしまうし、困ります。
* 2月号のコラム、電気代の事、15000円の電気代が7月6000円を切りました。やりました。


2014年8月号

悩める極楽とんぼ?

 「順位決定戦、どうでしたか?」との質問に「失敗しました」とだけしか言えなかった。でも、やっぱり書かないといけないと・・・・・。
結論からいえば、ピンが飛ばなかった。幅を多く使えないレーンコンディションとは思って攻めるも、ポケットを突いているのに、残る。前半は焦った挙句、ボールを取っ替え引っ替えでローゲームの連発で終わる。昼食休憩の後、ボールが死んでるに違いない。であれば残りピンを拾いまくろうと腹をくくったものの、同じボックスのプロがストライクを連発している時に9,9,9と並ぶスペアだけのスコアボードを見ることが出来ず下ばかり向いていた。
14ポンドだから飛ばなかったのか。
成績が上向きになったと喜んだ4月の宮崎オープンは15ポンドだった。その50日後に14ポンドに変更したのは、順位決定戦の直前まで5個も講習会、承認大会などのイベントがあって1日に12ゲームを投げ切れないかもしれないと、軽くする事をいとも簡単に決めてしまったのだ。投げ込めば良いと思ったのが甘かった。
軽くすればフォームを作り易いだろうと、確かに作り易かった。
スピードと回転数が増えるはずなのに、減った。リリース(ボールを離す時)でサム(親指)がわずかに残る。12ゲーム中、サムが残らず、フインガー(中指、薬指)のボールが均等に乗って離れていったのは、たったの2個。
ボールの重さを変える時の危険性と無防備さを大事な試合中に体感してしまうなんて、先がないのに我ながら亀井に腹が立つ。
リリースでの亀井の欠点、サムの抜けの不安定さは、15ポンドであれば勝手に抜ける時が多い事でごまかせたのかもしれない。体が揺れ動くという危険はあったにせよスイングが楽に出来た。
PBAのパーカーボーン氏は、16ポンドから15ポンドに変えた理由を、友人の高田誠氏(日本体育協会コーチで著名なドリラー)に、「15ポンドと16ポンドではピンアクションは殆ど変らないね」ではなぜ?「うん、ボールをもう少しパワフルに動かしたかったから」と。高田氏曰く。「ボールの重さがその人にとって、適正なものだったら、回転スピードも、インパクトアングルも十分にある。もし、それより軽かったらスピードと自転力が増す」とすると、亀井にとっては、14ポンドへの変更は間違いではなかったと思えてきた。どうも今回の失敗は、亀井の脳が15ポンドでの力加減の配分をそのまま14ポンドに使ってしまってサムの抜けが悪いリリースになったからと、総括しました。良かった。まだやれる!
パーカーボーン氏はこの後、久しぶりのタイトルを獲得されたはず。

      参考コラム 高田誠の「辛口独り言」


2014年7月号

山頂はどのあたり?

先月号のこのコラムを休んでしまった原因のこのパソコン、まだ使い勝手が悪い。
XPのままだと危険だというので切り替えの期日ギリギリにD店にかけこんだ。品薄になった棚から、以前から興味があったメーカーにしないでそれまでと同じメーカーのものを買ったのに、全然違う。
今月、新聞にXPのパソコン機能とは全然違うから、別物と考えてくださいと書いてあった。悩んでいる人は私だけではないようで安心はしたものの、しんどい。
ま、でも、よろよろと進めましょ。
で、又若い時の話。20歳のころよく山に登っていた。熊本で生まれ育ったから熊本を中心にその周辺の山はほとんど登った。なぜ登っていたのだろう。軟式テニスの仲間がいつも一緒だったから、楽しかったんだろうとか、弁当?今考えるとなぜ登っていたのか思い出せない。
ただ、山のすそ野から眺めて遠いなぁと思った山頂に着いた時、小さい歩幅でも黙々と歩けば、いつに間にか着くんだと感激してはしゃいだ事は覚えている。
亀井にとっては、長い低迷期からの脱出になった4月の宮崎オープンが終わった時、この山を登っていたような懐かしい感覚を思い出した。
トップに行った訳ではないから、山頂ではないにしても、4合目くらいだったにせよ、
低迷したまま、ボウリング人生が終わるかもしれないと思い始めた時期だったから、3合目でも良い。それに、まだ上に行ける「のりしろ」がある。
ただ、3歩進んで2歩下がるなら良いけど、2歩進んで3歩下がるがあるからね。
あっても良いか、それも、「のりしろ」。
ただ一つ気がかりなのは、体力の低下だ。どう付き合えば良いだろうと思っていた矢先、「1日×1トレ」というトレーニングの方法を特集した雑誌をみつけた。
「1日に1種のトレーニングを」というもので、以前通っていたジムでのトレーニングよりやさしく時間をとらないから、面白そうで、早速購入した。
何せ、例えば「スクワットを10回3セット」で1日終了。それで、翌日別のメニュー。楽じゃん。
著者の意向は少し違うかもしれないけれど、ズボラ亀井はそう理解しました。
これも、山登りの一歩一歩で、いつかは、山頂にいるかも。
もう一つ気がかりな事がある。疲れをどうするかだ。
また、考えよう! 

      参考雑誌 「ターザン」№640


2014年6月号

今月コラムのお休みの訳

4月から例のパソコン騒動で、xp搭載のパソコンを使っていた亀井は、期限ぎりぎりに買い換えて以来、操作に手こずっている。出来ない事が多くてて頭が痛い。
先月、今年初めての公式戦「宮崎オープントーナメント」に出場した。下位からの脱出が出来たのだ。少しづつ今までしてきた事の結果が出てきているようでうれしい。でも、パソコンが言う事を聞いてくれないのでコラムが書けない。

と言う事で、お休みにします。


2014年5月号

コピペ・・・コピー&ペースト

体のあらゆる臓器の細胞を再生し作り出す事が出来る万能細胞が開発されたと言うニュースが流れた。
同じ万能細胞のノーベル賞山中伸弥教授のiPS細胞より短期間でその作用が起こるなど、革新さでその上を行くというSTAP細胞重篤な病気も治せるのだ。若返り可能なんて二の次で良い。パーキンソン病を治療している知人の顔が浮かんだ。
調子が悪い亀井の唾液腺の細胞が変わってドライマウスが治るぞ、と喜んだはもつかの間で、このSTAP細胞の論文に「不適切」なところがあったと、もっと衝撃的な報道が流れた。この「不適切」と指摘され一番多く使われた言葉が、「コピペ」。コピーをして貼り付ける」作業のことだ。
論文の中に「コピペ」があって、この論文自体の証明が不明という段階でどのように進展するのか、撤退するのか見守るしかない。
さて、ボウリングでの「コピペ」。
上手いボウラーには,「コピーから入ったよ」と言う人が多い。
「亀井プロのステップアップレッスン」で悩んでいるボウラーには、パソコンに入れたトップグループのプロたちの中から選んで見せる時がある。効果はある。
コピーしたいボウラーがみつかったら、その画像と一緒にエアギターならぬ、エアーボウリングをしてみる。意外に動作が早いのが分かる。以前、ニューヨークでPBAのツアーを会場で見て、その後そのツアーをTVで見たとき動きの早さシャープさは実像の方が早かった。東京での“ジャパンカップ”でも同じだった。だから、画像ならなおの事コピーしながらのエアーボウリングは、思い切った動きをした方が、何かをつかめると思う。
以前、4個のタイトルをもつ先輩のKプロに諭された。
「亀ちゃんはいつも何かを変えているけど、いつでも帰れるベースを持っていなさい。
このベースがあると、ボウリングに迷ってあれこれと変えた挙句、訳が判らなくなった時、このベースに戻れば良いから」と。亀井のベースは、ケーゲルトレーニングセンターでコーチが「コピペ」してくれた小柄な女性のものだ。投球理論もケーゲルで教わった事をベースにしている。
エアーボウリングで、ベースを作る。それが、つかめた何かになるかもしれない。
STAP論文のコピペは、他人の論文のコピーだったから、不適切らしい。
ボウリング。他人の画像を「コピペ」しても、完璧に出来るわけないから、「不適切」とは指摘されないと思うので、的確なボウラーを探して、ベースを作る事をお勧めします。
進歩が遅い亀井では説得力不足だとしても、財産になります。

2014年4月号

レクエイム

昨年末、2人のボウラーが旅立った。KさんとMさん。
Kさんは、ボウリングに独特の理論をお持ちで、ボールは曲がるとストライクが少ないと直球を投げたがっておられた。ストライクになるポケットへの侵入角度から考えればその確率は直球より曲がった方が大きいと、曲がりのボウリングを薦めたけれど、彼の理論は変わらなかった。当然、ボールも曲がらない物を捜すことになる。彼のドリル(ボールに穴を空ける事)を担当する事になるまで、あの小さいドリル部屋で、4時間の大激論をした。通常、ボールは親指、中指、薬指の3本で持つ。彼は、曲がりが出ないように、人さし指も開けたいと。亀井自身、小指を開けたボールを、5年くらい投げていたので、それは理解出来たけれど、人差し指にはとまどった。特許をたくさん取ったという話から、研究熱心な方だと思ったものの、ピッチ(穴の角度)の法外な指定には、びっくりした。それでは持てないし、投げられませんよと言っても、「あんたが男だったら」だけなら、又、性の差別かと思うだけだけれど「物理学がわかれば」ってことになったところで、ピキッと切れた。たしかに、苦手ではある。「でもボールは平面ではなく球体ですよ」まして、ドリルの数値は長い歴史の膨大なデータから出た数値があり、それにドリラーの経験からの数値が出てくる。とうとう、ドリルをしません。になった。そのはてに、とにかくやってみてになって、この角度でここまでと言う指定通りにきっちり開けて渡した。案の定、投げられないとすぐ持ってこられて、それからは全部任せると。そうなると「亀井よりボウリングのキャリアは長い」が口癖のKさんを納得させさせたいと面白くなった矢先に、余命を聞かされた。投げられる間は投げると、大会も参加され練習もされた。もともと手と足のタイミングが抜群に良かったから、大会で上位が多くなった頃、「息が切れるようになったよ」「酸素ボンベを持ってきませんか」と会話をした後、亀井自身が肺炎、インフルエンザ騒動でセンターに出勤出来なかった。
その頃、逝かれた。
Mさん。医師から病名を聞いて「役職を全部辞めたよ、ボウリングもやめる」とセンターにこられた。国語の先生だったと聞いたから先生と呼んでいた。このコラムを書きながら文字の使い方を迷っていると、先生の顔が浮かぶ。チェックがあると妙にうれしかった。豪快なボウリングだった。バレンタインの日にチョコを一粒ずつ配って、生協新病院の建設の署名を頼んでおられた。その病院の建設の情報を見た時、先生のにこやかで凛とした顔を思い出す。

もし、余命の告知を受けた時、私はどちらを選ぶだろうか。


2014年3月号