プロボウラー亀井勝江のブログ

(公社)日本プロボウリング協会公認プロボウラー14期生・亀井勝江のブログです

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小学生の私に会えた日

何とまぁ楽しい会合に行ってきた。
「アオキタケシー!うちらは相合傘に書かれたんだけんね」呼びつけられたアオキ君は、髪が見事に変った少し太り気味の中背のおじさん。かってはりりしくもやさしい目を持った背の高い12歳の少年で、級長だった。
呼びつけたのは、女子3ボスのひとり、その落書きを喜んでいたトミオカトモコさんで相手はアオキ君。横で「おれはそれば消して回りよったったい」と今だに名前と顔が一致しないA君が口を挟む。どうもトモコさんを好きだったようだ。
トモコさんが「タケダヨシロー!」と呼んでいたのは、「明日はテニスの試合だ」という小太りのおじさん。高校時代は学校が違っても亀井のテニスのライバルだった、と思い出した。あのころは子供ながら引き締ってシャープな顔だったけど。
3ボスのもうひとりシロタさんの横に座った大きな男性が、「恐ろしかったぁ。追いかけてきて打たれた」「へぇそれだけ?」「いやぁけられた何べんも」「女子をいじめたけんたい」ジャンヌダルクといわれていたはずだ。この3人はそろって背が高くて、頭も顔もよかった。大体女子ではなく男子を仕切っていた。
ゴールデンエージと呼ばれる小学校高学年の子供は女子のほうが男子より早く成長すると、コーチ講習で学習した。まさにそのとおりで、いまやそれなりの立場の男子たちは、久しぶりに呼びすてられたと笑っていたけど、あのころは絶対女子が上だった。このゴールデンエージのころの年齢差は3歳くらいの幅があるという。
それに加えて、3月の末に生まれた亀井は、それだけでもまるまる1年の差があって小さくて幼かったらしい。そのせいか、男女の大騒ぎの中に入れず横で笑っているだけのおとなしい子供だったと思っていた。
ところが、小さいけれど元気で勝気だったという。その上、「ミヤタ(亀井の旧姓)のことを気にしとるのがいた」というのだ。やせて色黒で目だけギョロギョロのミヤタに?大学卒業した直後に手紙が来て、あれ?と思ったけれど。その時に言ってくれよ。20代で亡くなったカックンだ。
散々みんなの憧れだったというカックンの話で盛り上がり、これで供養になったねと言うトモコさん。そのトモコさんと、3ボスの3人目の元少女は「ひとりになってしまって寂しい」とそっと言った。
何はともあれ、このゴールデンエイジを過ぎると、肉体的に男女の性差がはじまる。その上、いまだに社会的に性差別があって苦い思いをすることが多い。小学校の同窓会は女性上位の世代に戻れるから文句なしに楽しかったのだと今思う。立派な紳士たちを呼び捨てにした彼女たちが一瞬、現実に戻されたにしてもだ。
青葉真っ盛りの熊本で・・・・。
              ♪友はあぁれども朝夕にぃ♪ 慶徳小学校校歌より

                       文中の氏名はすべて仮名です。


2012年5月号